2019年9月6日

天使と悪魔の間に果物が置かれていたら

その誘惑に手を伸ばすのは当然のことのように思えるのにと

私はそこまで立ち入ってきた寓話の性悪さを嫌っていた

偏った示唆は何かしらの私欲の意図が産んだものだ

ただ人びとへの扇情に長けていたに過ぎない

月よ星よ宙よと私は声にする

あなたもその片棒を担いでいる手先なのかと思ったら

やはり切なさだけが私の胸に一色になって広がっていった

対面に罪だけが配置されていることを空しく思いながら

祈りの形を忘れた手を見ているうちに

私はいつしか眠ってしまったのだろう

夢の中を無数の文字のように見える雪が

始まったばかりのように永遠に終わらないように

戯けながら私をみつめ返して嗤っているように見えていた

 

譜奏425

2019年9月4日

雨の夜にだけ思い出す人がいる

涙が忘れてくれないの

ひどい恋だったのに

悲しみだけが

心を満たしてくれるなんて

そんな歌だった

多分私の母くらいの年齢だろう

銀飾りのドレスが痩せたジャズシンガーの身体を包んでいた

私はその歌声に不意をつかれていた

この歌はこの人のことに違いないとしか思えなかったのだ

私がこの人をこの歌を抱きしめられる日がくるのだろうか

こぼれそうな涙を拒んでうつむいていた目を上げた時

マイクを持つ手首にはっきりと分かる火傷痕が

まるで思い出のように私の目に灼きついていた

 

譜奏424

2019年9月2日

会うたびに別人のように髪の色もメイクも全然違ってて

それがすごく痛々しいと感じられるのに

ある瞬間ドキッとするほど女っぽくて

羨ましいと感じてしまった感情を隠すように

あなたはすごく黒髪が似合うのにと言った自分がとても恥ずかしかった

おとぎ話なのよ、嘘でしか書けない作り話

漁り目男の周りを回遊して好みの媚びを察知して

見破った好みの性を見せつけて

やがてかすぐにか電池切れしたオモチャのように飽きられて

そこまでの作り話を私小説にして私は生きているから

だから捨てられる時だけ私は女になるの

だから捨てるのも面倒なゴミのようにされるのがいいの

もう続きを書かなくてもいいって思えるから

真実って意味がないの私には、だってすぐに消えていく裏切り者だから

 

譜奏423

2019年8月30日

習慣性の強い夢を思春期に得て

私はケモノ道さえ無いような雑林の中を強引に駈けて

どれだけ行けば何があるのかを考える思慮もなく

ただ目前のものにぶつかるように進んできた気がする

それが私の青春だったと言えばそう言う他ない

ある時身体の中なのかまたは別のどこかなのか

何かしらのダメージが残っている自分に気づいたことがあった

私は得体が知れないものを実感することに恐れて

懸命に意識語に変換しようと自身を探る作業を繰り返したが

それは探せば探すほどに遠ざかっていくもののようだった

解らないことは解らないのだからと投げ出していたある夜

私は夢で延々と街路樹が続く道を歩いて行く自分の姿を見て愕然とした

そこには決して等身ではない見知らぬ影が

異身のようにしなやかに私と対になっていたからだ

 

譜奏422