2019年9月20日

似合わなくてもいい

私は少女の頃から赤いパンプスを履く自分を夢見ていた

そして18のある春の日にとうとう待ちきれなくなって

私は遠い街まで行って秘かに買っていた夢のパンプスを履いて

誰も私を知らない繁華街を女優のように微笑みながら歩いた

しかしその時不運の雨が降りだしてきて

私は身体より赤に合わせたブラウスよりパンプスが気にかかり

走ってカフェに飛び込んで新しいハンカチで雨粒を拭き取ったのに

何故かその時その赤が急に見飽きたもののように思えてしまって

やっぱり私には白のパンプスのほうが似合うように思えてきて

そう思ったらさらに赤が褪せたように思えてきて

シューズに履き変えて帰りの駅のゴミ箱に裸のままの赤を捨てていた

そしてふとこのブラウスは何てこのシューズと合わないんだろうと

悲しくなってなかなかこない電車を俯くように待ち侘びていたのだ

 

譜奏431

2019年9月18日

ハタチ前から飲んだくれの人生

覚えたのはサルサのステップだけ

夢と現実の区別がつかなくて

もう死んじゃったと思っていたら

知らない場所で目が覚めて

すごくびっくりしたけど

でもうれしくなかったから

また寝たのよ

知らない場所で

わたし自分が誰か忘れたかった

ただそれだけだったのに

ひどい生きかたをしてしまったわ

でもきっとこのままよ、きっと何かの罰をわたし

受けなきゃいけないから

 

譜奏430

2019年9月16日

日常は顕在意識で生きる他はなく

私はそんな日常に本当の自分を感じることが少ない

おそらく意識という空間は二極化で括れるほど単純ではなく

きっと緻密なプログラムによって作用し合っているはずだ

しかしそれを解明して名指す言葉が見当たらない

つくづく人の意識は原始にまで繋がっていると思わずにはいられない

それだけで人は最も秀でた素晴らしい対応体と言えるだろうと思う

必然的に私は潜在意識の中で生きている私と向き合っていることになる

そこに重力はなくまるで水膜に浮かんでいるような触感だ

空間そのものが血も肉も持たない生命体として息づいて

私の日常の思考を支配しているのだろうと思う

叶うなら私はその湖に棲む人魚になりたい

私の湖面は紫色の光に覆われているはずだから

私自身が魂のようにその色に同調していけばいいはずなのだから

 

譜奏429

2019年9月13日

向日葵とわたしを座らせて描いてくれていた父の姿が

影絵の劇のように胸に残っていると言ったあと

生涯働かない父だったけどねと彼女は笑った

銀の指輪がグラスに当たって小鳥の鳴き声のような音がしていた

そんな父が認知症のまま死んでしまったあと

わたし

なんとなく酒びたりになっていったみたい

父のアトリエに入るのが怖くて盛り場に居着くようになって

そしてなんとなくJAZZを歌うようになっていたの

JAZZを歌っているとね、悲しみが美しく思える夜があって

上窓からこぼれる月の虹を見上げながらわたし

廃屋のようになっていたアトリエに火をつけたの

遠い昔の話だけどねと微笑みながら彼女は右手に目を落として

そして柔らかな頬で私の目をみつめ返してくれていた

 

譜奏428