2018年8月13日

道に横たわる人を一瞥して通り過ぎていく人波を外れて

私は注意深くその人に近づいて

小さないびきを聞いてほっとした気持ちになった

彼はただ酔い潰れていただけの人だった

都会ではありふれた光景だから

一々構う人はなくまたその必要もないのかもしれない

しかしあまりにも何もなかったような人波が

私にはひどく身勝手で憎らしいものに思えた

彼の身なりがみすぼらしいことも一瞥の理由だったのだろう

人間が苦心して進化させてきた文明も裏へ回れば汚れが目につく

この意識は利便だけを食べて示唆をゴミにしてきた人間の

不感の罪が流す下水なのではと思った

やや過剰とは思いながらもしも音楽と教会がなかったら

この国はもっと病みの中にいたのかもしれないと思った

 

譜奏258

2018年8月10日

青のような紫のような水中に沈んでいく夢を見ている

月明かりはまだ仄かに届いている

私は戯けて人魚のように身体を回してみたりする

できれば踊っているように見えたら良いと思ったりする

息が苦しくなって口から水泡も出なくなっていたけど

私はキレイなシルエットになっていたら良いと思って

裸足のつま先を伸ばしてみたりする

でもほんとうはこんなに生きたいと私が願うなんて

思わなかったと思ってみたりする

きっと私を探している人がいると思って目を開く

見つけようとしている人が腕を掴むような気がしたりする

私はそれを信じることができると思えたりする

その人が来ないと私は死ぬかもしれないと思ったりする

最高だと言える分の水泡が無いことを悔しいと思ったりしている

 

譜奏257

2018年8月8日

じっと手を見ていたい時がある

ペンを持ったり鍵を回したり誰かの背を撫でたりする

私の手

何かをつかもうとしてあがき続けてきた

この小さな生き物

目を閉じて顔を触ると自分の心に近づいて

離すと犯した罪を思い出すように温度を失くしていく

辛辣な異形

私はもう気がついている

二度と彷徨うようには生きられないと

そして

望む何かを掴まえているより

その手を放すほうに

より強い力が必要だということを

 

譜奏256

2018年8月6日

ガラスみたいなサクランボを口に咥えて

舞台の終わりに老ピエロは本に無い台詞を言い出した

これが最後の舞台だったからだ

ーーー若き日にサーカスを追われたわたしに拍手を下さった皆様に

私は心からの感謝と当惑の姿を遺しましょう

わたしはこの舞台で何を演じていたわけでもありません

そもそもわたしには演じる必要などなかったのですから

あなた方がご覧になったわたしはわたし自身の姿です

左手で宙を追い右手で過ぎ去った時を追い

涙も戯けも蔑まれてソデに去る卑屈な姿も

すべてがただのあるがままのわたしでした

哀しみの毒を運命の代わりに服してきただけなのです

どうぞ今夜はゆっくりおやすみください

わたしも今日を限りに眠ることにしますから

 

譜奏255