煉瓦道の角の花屋さんのガーベラを流し見して
私は白いピアノが置かれている部屋に向かって歩いていた
胸を弾ませて何度この道を歩いたことだろう
女優の夢を一度も捨てようと思わなかった貧しい女が
初めてお金のために働いた店でピアノを奏でていたのが彼女だった
鍵を開けると彼女が振り向いて笑った気がした
私もいつものように明るく微笑んだ気がしていたけれど
蒼い水面のさざめきのような半音階が
悲しい雨音のようにリフレインされていた彼女のノクターンを
私は消えていくだけの幻と知りながら
行き場のない愛しさに溺れていく自分に怯え
決して凍えることのない時という魔物そのものに
憎しみに似た強い敵意だけを募らせて
風音を閉ざすドアにただ茫然と立ち竦んでいただけだった
譜奏434