2018年8月31日

人生を

壊れてもいいオモチャみたいに費やして

楽しいことだけを好き放題に自由奔放に生きようと思っても

人は結局その考えは一過性の高ぶりに過ぎずいずれ困難と知る

意義を持たない自由にそれほどのエネルギーはないからだ

もしも人生そのものが一つの生き物なら

その化身は運命という背景を大きく広げて威嚇しながら

人を適度に刺激して冷静に観察しているように思える

人間的に考えればその目的は何なのかということになるが

そこから先はきっと立入禁止なのだろう

愛されずとも人は丁寧に扱われている

私にはその確かな実感がある

だから生きるという事実を決してオモチャのようになどしない

その貪欲さにこそ人間の真の自由が宿っているはずなのだから

 

譜奏266