人生を
壊れてもいいオモチャみたいに費やして
楽しいことだけを好き放題に自由奔放に生きようと思っても
人は結局その考えは一過性の高ぶりに過ぎずいずれ困難と知る
意義を持たない自由にそれほどのエネルギーはないからだ
もしも人生そのものが一つの生き物なら
その化身は運命という背景を大きく広げて威嚇しながら
人を適度に刺激して冷静に観察しているように思える
人間的に考えればその目的は何なのかということになるが
そこから先はきっと立入禁止なのだろう
愛されずとも人は丁寧に扱われている
私にはその確かな実感がある
だから生きるという事実を決してオモチャのようになどしない
その貪欲さにこそ人間の真の自由が宿っているはずなのだから
譜奏266